ローマ人の物語
塩野七生著、「ローマは一日にして成らず」(上)、新潮文庫


第一巻の問題意識は、「何故にローマは大国となったか。」であります。
具体的には紀元前8世紀から同5世紀あたりまで。
王政期から共和制初期(ちょうど平民と貴族の対立抗争期)という国家創生期におけるローマ国家が対象となっております。

「ローマは後に地中海世界を統一する帝国となるが、その基礎は全てこの国家創生期に確立されていた。」
一言でいうと、本書の内容はこれにつきます。
ではそのローマの大発展の基礎となり得たものは何か。
「他者(非ローマ人)を国家に統合していった」、ことです。
具体的には、戦争にの敗者にローマ市民権を与えるということです。
つまり他者を国家に統合し、国民と同一の権利義務(市民権と租税負担(すなわち軍務))を課するわけです。
(この政策の対象となったのは、サヴィーニ族、エトルリア人、アルバ人)
その開放性こそが、最大のローマの特質であった、と評してよいでしょう。

対照的に、この時代より強大な力を持っていたギリシア人、エトルリア人は閉鎖的。
例えば、民主制最盛期のアテネ市の市民権獲得要件は、両親ともにアテナ人であることでした。
このようにギリシア人、エトルリア人はきわめて閉鎖的な国家を築いていました。
ローマの場合は、移住者、解放奴隷にさえも市民権を与えていたようです。
市民権の獲得がアテナイの場合は血統という自分の力の及ばないものであったのに対し、ローマはある程度の財力のみ、個人の努力と運で克服可能な要因です。

軍役につくことが市民の権利でもあったこの時代、市民の増加は軍事力の増大をも意味していました。
(政治学的には、市民権は「ノーブレスオブライジ」と評してよいかと思います。無産市民、奴隷には軍役につく義務が存在しないからです。)
対照的なのが、スパルタです。
スパルタ人は一騎当千の優れた軍人であったと聞き及びますが、軍役につくのは1万人程度のスパルタ成人男性市民のみ。
他国を征服したところで、市民権の拡大などは当然にありません。
(そもそも市民の特権を守るためにやむを得ずスパルタは軍国主義を歩むこととなった。)
1万人の人員では、彼らはペロポネソス戦争でせっかくアテネを破ったものの、全ギリシアに影響力を及ぼすことはとうていできませんでした。

ローマは出身国、民族に関わりにない市民権の拡大と敗者の統合を国是として行きます。
しかも敗北国の統合に役立ったのは、「元老院」です。
対象国の有力者には、元老院の議席が与えられました。
(元老院は王個人の諮問機関ではなく、正式な国家の機関であり身分保障が強固であった。)
こうして敗者を従前の市民と完全に同等に扱い、元老院を通してその意見を国政に吸収して行きます。
かくしてローマ市には、様々な民族が入り交じることになります。
ローマの文化には、他者の包含を容易にする要素が存在しました。
それは多神教と法律です。

ローマの宗教は多神教、すなわち一神教ではないということです。
一神教は、自己の信ずる神以外の神格を肯定しません。
宗教そのものの優越の問題ではありませんが、結果として一神教が多数の宗教戦争を生んできたのは歴史の教えるところでしょう。
宗教的寛容は、他者の同化に多いに役立ったものと思われます。
一神教の特徴として、行為規範の決定権限を神にのみに与える、というものがあります。
たとえば、「モーゼの十戒」等を思い浮かべるとよいでしょう。
多神教の場合は、「ギリシア神話」や「封神演義」等思い浮かべると明かですが、神とは道徳を強要する存在ではありません。
多神教において神に求められるのは「守り神」という役割です。
かくしてローマ市には、人口よりも多くの神が存在したといわれています。
この点、八百万の神がいます日本と宗教観が近いですね。
そして多神教に置いては、他者の神をその一群に統合して行くのが容易なのです。

この点カトリックは一神教であるのに、世界各国に布教に成功している、それは何故でしょう。
それは、守護聖人という制度にあります。
各国の代表者が守護聖人として守り神になるわけです。
かくしてキリスト教は、偶像は作る、みだりに神の名を唱える、等10戒をほとんど無視することによって、世界的に躍進し得たわけです。
ではローマ人は道徳規範を何に求めたか。
それが「法」でした。
誰もが従う、客観的な行為規範の必要性、そこから法律は発展したのでした。
単なる利益調整規定なので、宗教的信条とは無関係に妥当するわけです。


このように、都市国家「ローマ」は国家制度の普遍性故に、大国となりえたというわけです。
まさに帝国要件を備えている、といってよいのではないでしょうか。
中華、そして現在のアメリカ合衆国との類似が強固であると思います。
ローマは国民国家ではなかった、当たり前ですね。


その他、些事ですが止めておこうと思う事項があります。
ローマではかつて(紀元前八世紀以前)、現在の三月が新年でした。
現在では、九月を「September」といいますが、これは三月から数えて7番目の月(セプ→セブン)という意味です。
同じく十月の「October」は8番目の月(タコの八本足の「オクト」)
十一月の「November」は九番目の月
十二月の「December」は十番目の月


以上です。

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