文化、ローマ

10/12
ふと思い出して、「ローマ人の物語」を読んでます。
1,2巻を読んだのが一年以上前。
でも、要約作っといたおかげで、記憶は鮮やか。
今回は3,4,5,6,7と店頭に並んでいるものを全て求めました。
この書に私が求めているのは、「ローマ帝国」の構築を可能とした要素が何であったか、を明らかにすること。
この点第三巻の冒頭に、なかなか興味深い記述がありました。
こういう超大局的視点が面白く感じられるようになったのは、私も年をとったせいかな?
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歴史への接し方は、大別して次の二派に分類できる。
第一は、アピールしたいことの例証として、歴史を使うやり方である。
第二として、歴史の叙述そのものを目的とし、それを手段とは把握しないこと。
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著者の塩野七生氏は多くの例を挙げつつ、自身第二の立場に立つことを明らかにされておられます。
私は、歴史は現代を考えるための手段と考えているので、どちらかというと前者の立場でしょうか。
実際両者の境界は、明確なものではないでしょうが・・・・
前者のように例証として歴史を用いる場合、その前提にあるのは諸地域を時間を越えて比較することでしょう。
それは、相当量の知識を即座に運用できることが必要であって(九九のようなもの)、そのためには後者のアプローチが不可欠となるわけですし。
以上前置きでした。
3,4,5巻のテーマはポエニ戦争。
まだ4巻半ばまでしか読んでませんが、面白かったことが一つ。
カルタゴ軍は、敗軍の将軍はその責任をとわれ、斬首もしくは十字架刑に処せられていたそうです。
対するローマは、敗北そのものの責任は不問。
(命を尊重したとか、決して人道的な理由によるものではなく、純然にプラグマティックなもの)
結果として、前者は「臭いものには蓋をしろ」。
敗北の理由分析や将来的展望に欠けることとなったようです。
先の大戦時の皇国軍にも通じる姿勢ですね。(別に敗将を処刑したわけではないが)
ローマ人は、敗軍の将を(能力があると見れば)民会で再び執政官に選任してみたり。
「帝国」の本質たる要件の一つ、「寛容性」がここにも現れているのが興味深いです。
ではローマ独特の要素は、全帝国(ローマ、中華、USA、中世ヨーロッパ、イスラム)共通の寛容以外のものは何か?
それは「システム」の概念であったのではないか、という気がします。
すなわち、運用する人間にかかわらず機能する制度。
ローマ法しかり、軍制しかり。
個人(天才)に依存せず、誰でもできる地道な行為の積み重ね、これがローマだったのではないかと感じるこのごろでした。
「ローマは一日にして成らず」という言葉が、より重みを持って感じられます。


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