本論の通常の文書は本書の引用(筆者による要約あり)であり、括弧「()」で囲まれた数字はその該当ページ数を示します。
なお、ミシュナは法勉学の基本とみなされ、AD200年には大主教ユダ一世による編纂がなされている。
本論は、表題著作の読書メモであり、製作者自身の復習のために作成しました。
一巻から順に各巻を2度読んで全10巻を通読。
その上で再び第一巻に立ち返って読み返した後の本への書き込みをHTML化というものが、本論の成立過程です。
本論中のSkyBlue色にて記述される部分は、筆者が個人の見解を付加した部分です。
犬養氏の権威に由来するものでない故に、誤謬である可能性が高いです。
人類全体に秘められた物事を、神の光のもとに見ようという方向性が生まれた時代。
すなわち、新約の素地が形成された時代である。
その萌芽は虜囚の時代であって、直接的な契機はアレキサンドロス大王である。
(さらには、文法的に明晰で洗練されたギリシア語を共通語としていたこと)
閉鎖性も有していた。
しかし、書を覚えその意味を汲み取るという方法論を確立し、法を解りやすく万人に広めるという広範性も備えていた。
セレウコス朝下の迫害を契機としたもので、人間史そのものは何処に向かっているのかという考え方
エゼキエル書における、神性を持ち罪を滅ぼすものの意
(すなわち新約は、歴史の背景を持っている)
BC166年、セレウコス朝のアンティオコス・エピファネスの弾圧下である。
(モーゼ5書の所持・割礼を死刑を持って禁止するなど)
小村モデインの司祭マタティアが蜂起、そのあとを子のユダが継承。
蜂起自体はジェルサレム入城と神殿浄化(偶像撤去)を果たして成功している。
マカバイ一派は、政治外交によって独立国家を作ることを目的としていた。
同時にこの蜂起には、ハシディームも参加。
ハシディームとは熱心なユダヤの人々の意であり、後のクムランやファリサイ派につながる。
彼らは信教の自由(政治的独立ではない)を目的として戦い、のちにマカバイ党から分離。(32)
ジェルサレム陥落後にユダイズムを守り広めたのは、彼らの功績である。
マカバイ派はローマ・シリア・スパルタとも同盟を結び、民族最高指導位を獲得。
そして、ヨハネ・イルカノスのときに、正式に王朝となった。
大祭司位もシリアより送られ、ハネモス朝の王は政治宗教の最高位を併有した。
伝統的に両者を併せ持つことは禁じられており、これにファリサイ派の人々が反発。
王党派(サドカイ派)とファリサイの対立の遠因はここにある。
BC39、サロメ女王即位。
女性は大祭司に就任できないため、彼女の長男イルカノスが大祭司に。
イルカノスは弟と対立し、そこにポンペイウスが介入。
弟の逮捕を名目にポンペイウスは無血でジェルサレム入城(BC63)。
ユダヤ全土はポンペイウスによってローマへの貢納地に指定され、独立王朝は事実上の終焉。
(このときポンペイウスは多数のユダヤ人を連れ帰り、それによってローマにユダヤのコミュニティーが作られる)
クラッススの死後ポンペイウスとシーザーの争いとなる。
イルカノスを通してポンペイウスにくみしていたアンティパタル(とその子ヘロデ)はシーザーに寝返り。
この時代の民族最高指導者はイルカノスであったが、実質はその顧問のアンティパタルであった。
アンティパタルは、シーザー、カシウス・ブルータス、アントニウスと寝返り、最終的に疑われ毒殺。
しかしその子ヘロデは何とかオクタビアヌスの側につくことに成功。
このころハネモス朝の後継者はパルテスに逃れており、この隙に乗じてジェルサレムに入城。
ヘロデはローマ元老院にて身の潔白を証明して支持を得、ユダヤの王に任じられる。
これがヘロデ大王であり、イエスの時代のヘロデアンティパスの父である。
こうしてハネモス朝は、ユダヤの民の血を引かないヘロデ王にとってかわられた。
ヘロデ大王の死後、アルケラオがジェルサレムとユダを継承して民族最高指導位に、他の子アンティパスとフィリポには分州が与えられた。
アルケラオは2年で失脚し、ジェルサレムはローマ直轄領として総督が送り込まれる。
(ゆえに総督ピラトがジェルサレムにいた)
ヘロデ王家は弱体化し、AD66には熱心党がローマに反乱を起こす。
70年にはジェルサレムがローマ軍により占領され、ユダヤ人のユダヤの地の居住が禁じられた。
それが、以下の三者である。
(血は生命そのものであり、命をかけて約束を守る意味。
祭儀での家畜の血は己の血の代替物物。
他の習慣を含め、それさえ守れば約束に沿うものと考えられるようになってゆく。
(後のパリサイ派の700項目以上のモーゼの法にない細目規定など)
それに対しエレミアは、「心の割礼」こそが本質であると以下を語った。
慈しみと思いやり、(申命記)を旨とするもの。
これゆえにユダの人々は兵役につくこともなく、周囲に強い反感を呼ぶこととなる。
(政権側は彼らが兵として役に立たないことを理解していたので、兵役免除の特権を与えていた)
以下のものが禁忌とされた。
以上は神に従う心の訓練として与えら得たもの。
食物自体が不浄なのではない。
イエスは「外から入るものが不浄なのではなく、心中に生じるものが不浄とする」と語っている。
この食習慣を守るには、一定数以上のユダの人々が集まりすむことが必要であった。
それが反ユダヤ感情を巻き起こす要因ともなった。
(「浄とされる動物は全て草食、すなわち創世記の調和のリフレイン」という見解あり、95)
神の眼差しもて他人を見ることのできる心を乞い願う、それが真の意味での祈り。
その対極にあるものは、己の成功や幸運をひたすらに求める祈願。
(普遍性にかける自己中心主義の表れ)
そこにおいて生の基準とし発生したものが「ユダイズム」であって、それは「ヘレニズム」に対する概念である。
ネヘミアも同じくペルシャの官僚であり、ユダの長官としてエズラの先にジェルサレムに赴任していた。
エズラの以下の政策により、ユダイズムは誕生した。
これらの業績により、ユダイズムの人々からエズラは第二のモーゼと呼ばれる。
すなわち「神殿・国土・国王」から「人の集まりの中での神の言葉」に信仰の重心が移行したのである。
以上のように初期ユダイズムには誰にでもわかりやすいものを目指す、という素晴らしい側面もあったのである。
トラー(モーゼ五書)の重要部分を繰り返し読むことで民の心に深くしみこませる手法。
御伽噺やたとえをふんだんに挿入し、わかりやすくトラーを学ばせる手法。
トラーは言い回しが古く、かつ難解な部分が多く理解が困難な書物であった。
さらに当時の共通語であるアラム語は文法がヘブライ語より洗練された言語であった。
(ヘブライ語には母音表記がない等)
(さらには、ヘブライ語を解さない人も多かった)
そこでトラーを、より解りやすい内容でアラム語で表記したものが、タルグムである。
イエスが多くをたとえ話として語ったのは、ユダの民のミシュナ・ハガダア・ダルグムの伝統にのっとたから。
これは「公のユダイズム」の基礎とみなされ、のちに「タルムド」と呼ばれる。
タルムドは解釈の更なる解釈書であって、タルムドに入り込めば入り込むほどトラーから離れ行くという危険性があった。
(その代表例がイエスの時代の律法学士たち)
皇帝の神格化はオリエント起源であり、アレキサンドルを介して西方に広まったもの。
「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に」
この比喩は、偶有である皇帝は神ではありえない、という含意もある。
(当時の皇帝アウグスティヌスは、尊厳なる者という神的な意味)
「わたしの平和」は、政治軍事によってもたらされるダヴィドのようなものではない。
(弟子たちはこちらしか考えていない)
「わたしの平和」は、信と互いに関わりあう人々の愛による心中の和。
剣とは、光が影から分かれるように、「光への反抗による分裂」を意味している。
「1万タラントンの負債を負うしもべを許した王」のたとえ。
しもべの負債を許したということは、すなわち王は自ら1万タラントンの穴埋めをする義務を負ったということ。
この比喩において、王は神、しもべは人を意味している。
まず第一には、1万タラントン(日本円で130億以上)もの負債があっても許されるという意味。
すなわち人が神に追う負債は弁済が不可能な大きさでも、許しは与えられるということ。
そして第二に、それほどの罪に許しが与えられるのだから、人間は相互の些細な事項は許しあうべきである、ということ。
紀元前四世紀、エジプトのアレキサンドリアにおいてモーゼ五書のギリシア語訳が行われた。
この際には、「ミシュナ、ハガダア、ミドラシュ」というユダイズムの伝統を織り込み、解りやすい訳が目指されている。
解りやすさと共通語という異邦異郷に向けられた普遍性があった。
ギリシア語を使用したシナゴーグは、異邦における流浪の集まりではなく、何処にでも順応できる精神文化の拠点となった。
(ジェルサレムのユダイズムには、トラーの翻訳そのものを涜聖行為とみなす派閥も強かった。)
この「70人訳」はAD400にヒエロニムスが全巻のラテン語訳(ウルガタ版)を完成させるまで使用された。
(正教会においては、今日も用いられている)
「種」である以上、何かしらの良いものが生まれ出る希望を含む単語である。
(イエスの教えが広まったのは、帝国各地にあったディアスポラのシナゴーグの存在あってこそ)
シナゴーグを各地に作り、安息日に集って知性のただなかに教えを受けるとき、そこに約束の地はある。
ジェルサレムや神殿国王が失われても、神の民は残る。
エレミアはこのように預言している。
(エレミアはネブカドネザルという異邦人をもしもべと呼び、神の民族を超えた普遍性をしめしている)
(ちなみにユダイズムの人とは母がユダイズムの人であること、父は異教徒でもよい)
(ヘブライ語で人はアダム、子はベン。すなわちベン・アダム)
イエスの用いたこの語は、エゼキエル書に初めて現れる。
そこにおいては、「完全に人」「神の前に卑小なもの」という意味であった。
しかしダニエル書(BC164完成)においては大きく意味が変わり、以下のようになっている。
(エノク書においては、人の子は神の権威を持つ神々しいものと描かれる)
このダニエル書の時代はセレウコス朝による迫害の時代。
人々の関心は、人の歴史の行く末や人間の意義という方面に向かっていた。
(正しさや忠誠が黙殺されて悪が栄えることはありえない、創造は中途半端ではないから、という確信に基づく考察)
この様な終末論的思考が黙示文学を生んだのである。
すなわち、今は隠されていてもいつの日に必ず全てが明らかにされるときが来る、という確信であった。
故に、以下三者はいずれも「約と約の間の時代」に発生し、内容的に深い関連を持つ。
イエスはこれらの歴史的文脈をふまえて、「人の子」と語ったのである。
すなわち、「完全に人間性を持ち、同時に神に由来するものであって、歴史を完成させるもの」であることを明らかにするために。
(ただしイエスの「人の子」の大部分は定冠詞のない用法であり、それは単に「わたし」という人間をしめしている)
以上です。