「戦争論」の感想と私の考え


実家に帰っている間、弟の持っていた「戦争論」(ゴーマニズム宣言の著者,小林よしのり氏のマンガ)を読んでみました。
この本の要旨は、以下のようになるかと思います。

  1. 戦後の日本人には「個」が確立されていない。
  2. そしてそれは「公」の不在と密接な関連がある。
  3. 日本の戦争には正義があった。
  4. 戦争でなくなった方は、何らかの愛するものを守るために戦ったのである。
  5. ゆえに我々は、父祖達を誇りにすべき。
最近は著者の小林よしのり氏は右翼と呼ばれるようですが、果たしてそうでしょうか。
(右翼、左翼という呼称自体が思考停止の現れであり、知的な人間の用いる概念でないことは自明ですが)
彼の主張はがいして、目新しい点はないのではないかと思われます。

1,2に関しては広く認められれているところでしょう。
氏は西洋の個人主義が、宗教と地方共同体という関係性の中で確立されることを述べておりますが、これに対する異論はないでしょう。
「個性は模倣によって生じる」、私はこのように考えます。
生理学的にも、他者との接触なしに社会的存在としての「人間」が成立し得ないのは多くの例を見れば明らかかと。

そして第3点に関して。
私個人は陸軍の中国進出は侵略行為であると思いますが、当時の詳細な国際関係の知識のない私には自衛のために必須であったとの主張を否定することはできません。
(かなり胡散臭いですが。)
対して対米開戦は、「陸軍がソ連とやるなら我々海軍はアメリカと」、「このままではジリ貧なので気流の都合の良い冬前に」などどうにもならない愚かな要因が見られます。
が、日系移民排斥を初め石油の禁輸措置にきわまり、一体いかなるどうしたら良いのでしょうか。
少なくとも当時の国際社会において、外交手段の一つとして武力行使は当然にかんがえられたのではないでしょうか。
今でもアメリカ合衆国はそうですよね。
日本の侵攻で東アジア植民地の独立が早まったことは事実すし。
(だからといって植民地支配を肯定する意図はないです。)
朝鮮半島で過酷な支配を行ったことも事実なら、多額のインフラ投資を行ったことも(資料上は)事実なんですよね。
(創氏改名や宗教の強制など、このあたりの事情をみるに日本は国民国家であって帝国ではありえませんね、どうでもいいですが。)
この場合の「正義」が厳密な法哲学的考証にもとずくものではなく、不純な動機を多数含むことも事実なら、国際関係敵に追い込まれてやむを得ない事情もあり。
歴史が単純に二元論的に評価できないのも、当たり前のことかと。

そして4,5ですが、戦争製作遂行者と一般兵卒が異なることも自明の真理。
故にこそ、靖国神社は問題になるのではないですか。
ある意味、国家政策の擬制にされた人と、否定仕様のない戦犯と、この二者が合祀され、しかも前者が大多数なわけですから。
実際に見たこともない人間で靖国を論じる者は、一体いかなる了見なのでしょう。

こうして具体的に眺めても、やはり彼の本にさほど目新しい主張はないかと思われます。
私が氏の著作の中でもっとも共感を抱いた点は、以下の点です。
「歴史の十分な知識もなく、かつ事実を学ぶ意欲もないものには、歴史を評価する資格はない。」
このような例は多数思い浮かびませんか。
卑近な例を挙げるなら、シューティングゲームの場合、何らの基礎もなく、学ぶ意図もなく、努力なしに「クソゲー」と断定している知的に恵まれない人々がウェブ上に多数いらっしゃるでしょう。
自己に言及の資格がないことを認識できないわけですが、そもそも真摯に学ぶ意図のある人間はこのような愚行は犯しません。

戦争の歴史もまたしかりです。
・植民地化されたアジアの国々の歴史
・植民地化の過程
・ヨーロッパの帝国主義の歴史
・明治維新以降の日本史
・当時の国際関係
・日本軍の組織
・第二次大戦の歴史
この程度は必要最低限でないですか。
そしてこれらは、「中公新書」などに多数出版があるはず。
たとえ一時の認識が誤っていたとしても、ひたすら多くの書をひもとき続ければ正しい理解が得られてくるはずです。
第二次大戦当時の軍部の戦争遂行が如何に杜撰であったか、そしてそれはいかなる制度上の理由から生じた問題か、そしてそれ故にいかに多くの人名が虚しく失われたか。

このような正確な認識があって初めて、東条英機らの戦争責任というものは明らかになるでしょう。
指導部は杜撰な製作の責任を負って当然に死ぬべきであった、と自分は思います。
少々話題が飛びますが、昭和天皇の戦争責任という問題がしばしば議論されました。
これとて、政治制度の知識なくしては全く結論のでない問題と思います。
日本国は立憲君主制でした。
憲法上天皇は主権者ですが、昭和天皇は(内閣官制に基づくに過ぎない)内閣制度を尊重され、決して自ら政治的決断を下そうとはされません。
軍部の台頭よりも、天皇の政治介入による立憲政治の崩壊という自体を回避することをより重視されてのご判断だったのでしょう。
ですから、ありとあらゆる上奏を裁可し、拒否権を行使なさることなどありませんでしたよね。
つまり天皇には政治的決断を下すべき法的地位になかったのですから、一切の政治的責任は無いはずです。
個人的にですが、かれには大変に高度な次元での「道義的戦争責任」はあったと思いますよ。
彼以外に戦争を止められる可能性のある人物はいなかったわけですから。
ただこの作為義務は、他に遂行可能性のある人物の不在、きわめて甚大な戦争の結果ということから導かれるものです。
大変に困難で、成功可能性のほとんどない作為義務ですね。
私個人は昭和天皇を偉大な政治家として尊敬しますよ、やくざまがいの陸軍などとやり合ったかたですからね。
「朕自ら近衛兵をひきいて誅滅せん。」でしたっけ(515か226かどちらか忘れましたが)、素晴らしいお心です。

私個人として、もっとも重大な戦争責任を負うと考える人々がおります。
内地にあって、何らの思慮もなく、「非国民」などと騒ぎ立てていた、町内会などの小組織での隣人の監視役を務めた、一般の国民です。
何らの思慮もなく、自己の行為の意味を考えず、政府公報を鵜呑みにし、少しでも自分と異なる人を迫害していた輩ですね。
そしてこういう人は今でも多数存在するでしょうk。
歴史の知識はなにもなく、学ぶ意志もないのに、戦争について語る人間を右翼扱いして喜んでいる前述の人々です。
(極端な例を挙げると、彼らの無知ぶりはからは「中国への旅」すら読んでいるかどうか疑わしい。)
自分の行為の意味を考えることなく、右ならえで自分と異なるものを迫害する人々。
こういう人々が政治過程におけるチェック機構を無効化していったことも、日本軍の歴史を学べば見えてくるはずです。
戦争責任は、ごくごく身近なところに存在すると私は思いますよ。

そしてひたすらに正しい知識を多数もとめ、意味そのものを考えること。
これが私の考える、戦争に対する正しい向き合い方です。


以上です。

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